2017年度 第11回                                      「アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑」 追悼会


日時・場所 / 2017年6月17日(土)午後3時半、 読谷文化センター

 6月17日、2017年度第11回沖縄恨之碑追悼会が催された。今年はあいにくの大雨となり、碑の前で読経を執り行うことができず、すべて室内(読谷村文化センター)での催しとなりました。この日本土から参加してくださった皆さんも含め総勢約60人余の集まりとなりました。初めに真宗大谷派の僧侶・知花一昌さんによる読経と追悼の言葉が捧げられたあと、「普天間・野嵩ゲート前でゴスペルを歌う会」の皆さんによる讃美歌、恨之碑の会共同代表の安里英子さんのあいさつに続いて、理事の有銘政夫さんから基調講演がなされました。そのあと海勢頭豊さんと路沙さんのミニコンサートに入り、「島九年母」「喜瀬武原」「トラジの花」「月桃の花」など心にしみわたる曲目が披露され会場が一つになっていきました。知花昌一さんはサンシンを手に、戦争中屋嘉収容所で生まれた「屋嘉節」を切々と歌いあげてくれました。「ガマフヤー」の具志堅隆松さんも駆けつけてくださり、収集された遺骨を家族の元へ帰そうと訴え、全遺族のDNA鑑定がなされるよう政府に求めていることが報告されました。事務局の沖本富貴子さんの方から、今年度平和の礎に刻銘された朝鮮人が戦死認定等公的な書類がなくても認められた経緯が報告され、今後平和の礎に朝鮮人が実態に即して刻銘されていく道を開いたとその意義を強調しました。合わせて本部町健堅に建てられていた墓標には朝鮮人名が含まれていたことを明らかにしました。最後に上間芳子事務局長が、今また日本が戦争の道に突き進もうとしていることへの警鐘を鳴らし閉会のあいさつとし、この日の追悼会を締めくくりました。

 

 *後日談* 6月23日、読谷の恨之碑の前でお供えをあげ手を合わせていらっしゃる方がいらしたとのこと。聞くところによるとその方は、戦争中嘉手納飛行場で働かされていた朝鮮人の話を、父からよく聞かされていたそうで、ご自身の関係する追悼式に参加した後恨之碑の方にも回ってくださったそうです。お父様の話を心に刻んで慰霊の日に恨之碑の方に足を運んでくださったことに深く感謝するとともに、戦争の記憶が継承されていくことの大切さを改めて感じさせられた出来事でした。(沖本富貴子記)