アリランの碑


所在地   宮古市上野野原311

建立年月日 2008年9月7日

建立者   宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会

 

【解説】 

沖縄戦当時、宮古(伊良部島も含めて)に16か所の慰安所があったことが、数次にわたる関係者の調査で明らかになった。その中の一つ、野原地区にあった慰安所の近くに住んでいた与那覇博敏(当時小学校5年生)は、女性たちが「ツカガー」という井戸に通う姿をよく見ていた。井戸は慰安所から歩いて30分ほどかかるところにあり、途中きつい坂道もあった。そのためか彼女たちは、この場所で道端に腰を掛けて一休みするのが常だった。ちょうど与那覇博敏の土地があるところだった。

 戦後与那覇は、朝鮮から連れてこられた女性たちのことを忘れまいと、その場所に大きな岩を置いた。その岩は、戦争が罪のない人間をどんなに苦しめたか、二度と繰り返してはならないと、平和を希求する岩となって地に根を下ろした。

 こうした与那覇の思いが宮古に調査に訪れた女性たちの心を動かし、碑を建てる実行委員会結成につながった。与那覇の置いた大きな岩は「アリランの碑」に生まれ変わり、永遠に残されることとなった。

 岩のそばには「希望の木」が植えられ、後方には「女たちへ」(日本語題字)と題する碑文が12カ国の言語で刻まれた。アジア太平洋戦争で「慰安婦」にされた女性たちの11の言語と、ベトナム戦争時、被害を受けたベトナム女性の言語を加えた12カ国語である。

 このアリランの碑は朝鮮人「慰安婦」にとどまることなく、アジア各国で被害にあった女性たちへの思いと、そして今も続く戦時下の女性に対する性暴力を許さないとする強い決意が込められている。

 

*12の言語 オーストラリア、中国・台湾、グアム、インドネシア・マレーシア、日本、コリア、ミャンマー、オランダ、フィリピン、タイ、東チモール、ベトナム

 

【碑文】(日本語版)

「女たちへ」

日本軍による性暴力被害を受けた一人ひとりの女性の苦しみを記憶し、 全世界の戦時性暴力の被害を悼み、二度と戦争のない平和な世界を祈ります。 JAPAN